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弓張岳展望台から望む佐世保市街地(上)   九十九島国立公園(下)

『平戸』は良かとこばい。魚もうまかっちゃんね〜、いっぺん行くとよかばい!



平戸大橋(対岸が平戸)



平戸瀬戸や大橋が見える高台に建っている田平教会 
1918年竣工 煉瓦造り 重要文化財






平戸城  松浦鎮信が慶長4年築城
リンク: 松浦資料館(平戸市)


松浦清山公(まつらせいざん)
平戸藩第34代藩主 松浦壱岐守清

「NHK・BSプレミアム」で放送した「妻は、くノ一」は、平戸藩や静山公の話です。
静山公は平戸松浦家第34代の当主で、諱(いみな)は清、静山は隠居後の号です。
安永4年(1775)にわずか16歳で平戸藩の藩主となり、以降31年間藩政を執り、外国の圧力や
大飢饉と世情の定まらぬ中に文武の奨励・藩政の振興につくした名君です。
また、静山公は『甲子夜話(かっしやわ)』の著者としても有名です。
甲子夜話278巻は当時の風俗・社会・自然現象など多岐にわたって記された随筆集で、
近世の社会・文化を知る上で貴重な資料となっています。
文政4年(1821)11月17日、『甲子(きのえ ね)の日』に書き起こしたのにちなんで書名としており、
以後天保12年(1841)に、82歳で死去するまで、20年にわたり書き続けました。
松浦家の正史『家世伝(かせいでん)』は第30代棟(たかし)公の時期から資料の収集が、
行われておりましたが、本格的な編纂事業は静山公の治世の時期に行われました。
静山公自身が総裁となって編纂の事業を為したのです。
記述のための基礎資料として藩内の調査を行い、家々に伝わる系図や旧記を提出させ、
各地の実地調査をしました。その膨大な記録は、松浦史料博物館に保存されています。
その一つに『田舎廻(いなかまわり)神社仏閣並古城址古墳等相糺帳あいただすちょう)』23冊がある。
寛政7年の日付があり、神社・仏閣や古墓の調査、言い伝えの聞き取りなどの調査記録です。
平戸藩の田舎(地方)の記録は殆ど見当らない中で、これは貴重な存在となっています。
佐世保方面に関しても綿密な記録があります。寛政7年といえば、今から約200年も前の時代ですが、
その記録を頼りに現地を訪れてみると、記述の通りに仏像・神像・石造物などが発見されたのです。
消えかかってはっきりしない文字も判読が出来、歴史を証明する貴重な発見が相次ぎました。
また、近年、各地で発行された郷土史の貴重な資料にもなりました。 静山公は33人の子女に恵まれ、
『子宝大名』といわれました。 十一女「愛子」が大納言中山忠能(ただやす)に嫁し、
その間にうまれた慶子(よしこ)姫は孝明天皇に嫁し、明治天皇の御生母となりました。
静山公は明治天皇の曾祖父にあたるのです。

写真説明 松浦静山公「三勇像」より/澤  正明氏  佐世保歴史巷談から転載 



37代「心月公」が建てられた茶室 「閑雲亭」




「鎮信流」 一服頂きました。



歴代平戸藩主の墓地(平戸市雄香寺)
静山公様のお墓もお参りしてきました。



静山公の石像(当家の実家)



当家旧屋敷跡の記念碑 (平戸街道 山の田茶室跡)
茶室は此処から20m程、山へ入った所に建っていました。



当時、街道沿いの当屋敷には100m程の白壁塀があった。
現在の平戸街道は拡張されて旧屋敷の面影は無い。



現在の茶室跡は竹林化している。
此処から登った所に井手家歴代の墓が48基ある。
墓掃除に過去40回程、車で帰省しています。
最速記録は四日市⇒佐世保10時間


静山公は船旅が嫌いで、長崎への往来は
いつも御駕籠だったと聞いています。

静山公の石像は、当家の旧屋敷に奉られていました。
当時の当主であった私の先祖の井手健吉(6代前)が、
殿様の健康などを祈願する為に肖像を石工に彫らせました。
今から200年ほど前の事です。
また、当家旧屋敷内には殿様の参勤交代時の
ご休憩の為にと建てた「お茶室」がありました。
平戸藩、静山公様とは特別な交流があったと聞いています。
茶器、日本刀、裃(かみしも)など、覚えています。
(郷土史記載)








殿様からの頂き物?  天保4年とあるが、落款を見ても作者不詳

山岡鉄舟

山岡鉄舟 二行書  落款「鐡舟居士書」  絹布に書いてある。
残念だが私は読めん!    有名な「山岡鉄舟の名言
長崎の実家には、「山岡鉄舟先生」の生写真がある。




周りが海に囲まれているので、魚は新鮮で美味いのは当然である。
特にヒラメ、真鯛、アゴは逸品。
カスドースは400年前にポルトガルから伝わった平戸藩門外不出の幻の菓子です(とにかく甘い!)



「えそ」は、白身だけで練ったもの。 昔は本物の「麦の穂」を使っていました。
河内かまぼこは、学生時代の弁当のオカズ等で、どれだけ食べたか分りません。
 
郷里で一生分食したもの (笑)



九州では「ヤマタロウ」という藻屑カニ(川で捕まえる)
上海蟹と同類 とにかく「うまか〜




自宅裏山に幹径50p程の大木が2本あり
時期になると学友が大勢遊びに来ました。
びわを目当てに・・・




実家の県道路沿いに「ヤマモモ」の大木が覆い、
その木陰は、トラックの運ちゃんの休憩場でしたが、
道路拡張で切り倒されました。(悲)



長崎といえば「ちゃんぽん」
店によって微妙に味が違うのですが、
路地裏の目立たない小さな店ほど「うまか〜」

とうとう、わが町も2010年3月佐世保市に合併・・・・佐世保と言えば・・・・「ハウステンボス」



ハウステンボス町 左は一戸建分譲地です。 テーマパークだけど、町になっていて
消防署などもあります。 今は韓国や中国からの旅行者が多い。



佐世保駅前の風景



佐世保駅から見える「カトリック三浦町教会」
ここで、佐世保出身の前川清さんと、藤圭子さんが結婚式を行った。



「米軍佐世保基地」のメインゲート  何で鳥居なんでしょ?



米軍基地内のレンガ倉庫群  旧日本海軍の倉庫で素晴らしい文化財です。
(長崎県建築士会より拝借)



誰でも知っている「ジャパネットたかた」本社  昔は小さな写真屋さんだったのに、
高田社長の努力で大きくなりました。あの声が良いんですよ。



昔からあるのに、近年ブレークした佐世保バーガー。 店によって味もボリュームも違う。
そういえば基地のアメリカ人を「アメちゃん」と呼んでいた。
ファイポン社の前社長は、ベトナム戦争時に佐世保基地に勤務していたと話していたな〜
その頃は、大きな空母が沖に停泊していて、そんな夜は歓楽街を大勢の水兵さんが飲み歩き
当然、スナックやクラブは日本人お断りです。 まぁ、何処の店も溢れて入れませんけどね。



960mもある日本一長いと言われる四ケ町商店街アーケード



新年が明けると、一斉に港の自衛隊やアメリカ海軍の艦艇が汽笛を鳴らし、近くでは花火も揚がる。
有名な日本一長い四ヶ町と三ヶ町アーケードの正月初売り。 早い店は2日午前0時に開店する。
今でも初売り初日は県内はもとより、近県からも大勢の人が押し寄せる。
写真は午前3時頃で、中学生や小学生同士が歩いていても警察に補導される事は無い。
(2日の早朝初売りは2016年で終了したようです)


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